鳥の劇場運営委員会の会長を務める長尾裕昭さん。鹿野町で生まれ育ち、子どもの頃は、鳥の劇場に生まれ変わった旧鹿野小学校にも通いました。
地方の小規模な市町村と同じように、当時の鹿野町は人口減少や住民の高齢化といった問題を抱え、まちは活気を失いつつありました。「このままでは、城下町らしさがどんどん失われてしまう」と感じていた長尾さんは、1994年に旧鹿野町役場の景観審議会の審議員になります。鹿野らしさを取り戻すため、町並みの保存に取り組む中で、「美しい城下町を使って何かできないか」と、2000年にはNPO法人いんしゅう鹿野まちづくり協議会の準備会を立ち上げ、2004年11月に鹿野町が鳥取市に編入合併され、鳥取市鹿野町となった後も、理事長として協議会の中心的役割を果たしました。
現在は、鳥取市西商工会会長や鳥取市観光コンベンション協会会長も務め、町有の温泉宿泊施設の運営や特産品の製造・販売、飲食サービスで鹿野町の魅力を伝えるなど、20年以上にわたり、美しい城下町である鹿野町のまちづくりに尽力しています。
長尾さんが、旧鹿野町商工会にあいさつに訪れた鳥の劇場の中島諒人代表と初めて会ったのは、2006年のこと。廃校になった小学校と幼稚園を鳥取市から借り受けることが決まり、鳥の劇場はスタート地点に立ったばかりでした。「私は演劇や劇場のことは全く不勉強で、最初に、鹿野の規模でチケット販売など成り立ちませんよと中島さんに言った記憶があります」と当時を振り返って笑います。
それでも躊躇なく、「鹿野のまちが元気になるのであれば、何でも力を貸しますよ」と、まちづくり協議会や商工会といった組織に関係なく、町を挙げて鳥の劇場の設立・運営に協力すると約束した長尾さん。地域住民に全く馴染みがなく、自身も知識がなかったという演劇や舞台芸術ですが、抵抗感はなかったといいます。「まちを活性化にするには、産業、歴史、文化など、いろいろな活動や取り組みがあります。芸術文化の一つである演劇が鹿野を元気にしてくれるかもしれない。迷いはありませんでしたね」
その上で、鳥の劇場に求めたのは、鹿野のまちおこしにつながる演劇活動。「みなさんは演劇がしたくて鹿野町に来られたのだと思いますが、鳥の劇場が鹿野の地域を元気にするんだということは、絶対に忘れないでください」と中島さんに伝えました。
鳥の劇場の発足から2年。2008年に第1回が開催された鳥の演劇祭でも、いんしゅう鹿野まちづくり協議会を中心に、地域住民が毎回さまざまな支援をしています。
例えば、公共交通でのアクセスが難しい劇場へは、最寄りのJR浜村駅から無料送迎を行っています。演劇祭の期間中に城下町の空き家や空き店舗を利用して店がオープンする「週末だけのまちのみせ(まちみせ)」は2012年にスタート。まちづくり協議会が運営を担当し、観劇に訪れる人たちの鹿野散策に一役買っています。
鳥の劇場の設立から12年、鳥の演劇祭も10周年を迎えた鹿野町の変化を「本当に良くなりましたよ。演劇祭のときは、市外・県外からたくさんの方が来られます。小さな町ですが、鹿野の人はおもてなしの心を持っていますし、言葉が通じない外国の方にも積極的に話しかけて交流をし、新しいことを吸収しているようです。まちみせが始まって、さらに交流が深まっています」と、まちづくりの成果を実感しています。
地方創生の先駆けともいえる鹿野町のまちづくりについて、鳥の劇場と熱い思いを共有する長尾さん。愛着を持って「トリゲキさん」と呼ぶ鳥の劇場が国内外で知られる存在となった今、「トリゲキさんは鹿野町に欠かせない、まちづくりの牽引役です。この流れを止めるわけにはいきません。これまで以上に地域住民とのつながりを密にして、劇場も鹿野のまちも発展し続けられるように、全力でバックアップしていきます」と力強く語ってくれました。