鳥の劇場は、鳥取県鳥取市鹿野町の廃校になった小学校と幼稚園を劇場に変えて、2006年から演劇活動をしています。

鳥の劇場という名前は、劇団名でもあり場の名前でもあります。劇場がただ演劇を愛好する人だけの場ではなくて、広く地域のみなさんに必要だと思ってもらえる場となることが、私たちの目標です。

演劇創作を中心にすえて、国内・海外の優れた舞台作品の招聘、舞台芸術家との交流、他芸術ジャンルとの交流、教育普及活動などを行い、地域の発展に少しでも貢献したいと考えています。

チケットの売上、サポ-タ-の方のご寄付、各種助成金、地元の方のご協力などにより活動が支えられています。

芸術監督の言葉

中島諒人
鳥の劇場芸術監督
中島諒人

鳥の劇場の活動について

21世紀に入り、人口が減り高齢化が進み、景気の低迷も続く中で、衰退とか縮小とか、あるいは滅びという言葉すらが、妙なリアリティを持って感じられます。「明るい未来」が見えない。不安、自信がない。人口最少県鳥取で活動していると、その感覚は本当に強烈です。厳しい状況だと思います。ですが私は、この状況をむしろ「おもしろい」と思っています。

何がおもしろいって、危機的状況、出口の見えない状況では、新しいことが求められるからです。演劇や劇場の運営を通じて、新しい幸福や喜びを生み出し、その喜びでコミュニティーに新しい未来を創り出す。そんなことに挑戦ができる。芸術表現とか演劇とか、日本では、とりわけ地方都市では顧みられることのなかったものを通じて、滅びへの流れを方向転換し、ここにしかない誇りや充実を作りたい。2006年の活動開始時にはおぼろだったイメージですが、10年以上の継続の中で小さな達成も多くあり、将来に向けて確かな手応えを感じています。

いわゆるコミュニティーの衰退は着々と進んでいます。それだけなら予想の範囲内でした。が、思想的な問題の混乱、何が本当に良きことかが世界的な規模でメチャクチャになってしまいました。格差の拡大、それに伴う他者への不寛容や排除・分断が、ネットの力にも後押しされながら、この10年ほどで急速に進みました。いままで普遍的な価値とされていたものが、大きく揺るがされています。それは一面では経済がもたらした問題ですが、心の問題であり、人間的理想の強度を試される問題です。

社会が生み出すねじれの力が個人の小さな生活に染み込み、人がぶつかり合い、敵を作り差別し、抑圧したりされたりするさまを演劇は描きます。演劇は、現在の社会的課題について考えるためのとても良い道具です。劇場では、たくさんの知らない人と舞台を見ます。同じ場所、同じ空気の中、笑ったり怒ったりしながら、それぞれ違う考えをもつ観客が、舞台上で起こる困った事態をともに見つめます。今の世界状況は、根源的に突き詰めて考えていくことでしか乗り越えられない。しかし考えの違う他者と折り合いをつけなければならない。突き詰めと折り合い、矛盾していますが、それをするしかない。そういうことをリアルに感じる場所が劇場で、現代はまさに劇場を必要としている。

立ち上げ以来、国や地域の行政、身近な人や遠方の人の多層的な理解と支援のもと、出会いや学びを得ながら、個々人が成長し、組織も成長してきました。20名足らずの演劇人が、この活動のみの収入で活動を続け、作品創作と並行して国際演劇祭を継続し、学校教育に入り込んだり、障害のある人といっしょに活動を展開するなどもしています。老朽化し、取り壊しが決まっていた劇場の建物も、耐震補強・改修が実現しました。

鈴木忠志さんの富山県南砺市利賀村での活動を範としての鳥取での始動でしたが、現在の芸術活動の地方での活性化の流れは、2006年時点では予想できないものでした。平田オリザさんの兵庫県豊岡市への移転もあり、利賀村、豊岡、鳥取と日本海側の連携という力強い流れも生まれつつあります。観光と演劇のつながりも、新しいエネルギーとなってきました。これも2006年当時は全く考えられなかったことです。観光とのつながりを考えるなんて、不純で堕落した行為だと考えられていたように思います。しかし、芸術的理想の追求と観光の両立が決して不可能でないことは、多くの国内外の事例が示しているし、私も実感とともにそれが可能であることを確信します。

鳥の劇場は、「劇場」という場が、多様な社会的機能を担う場所・組織として多くの人に認識され、必要とされることを目指して活動してきました。その方向性は、今後も変わりません。演劇という集団創作活動を軸としながら、思考し、学び、研鑽し、新しいことにも挑戦し、演劇という芸術、劇場という場・組織体にしかできない社会との関わりと貢献を継続していきたいと思っています。

みなさまのいっそうのご理解とご支援をお願い申し上げます。